ずーーっと、先日の議論を反省しています。
かなりヒートアップしてしまって、無我夢中でしゃべり倒しました。
自分に足りなかったのは、「思いやりの心」ではなかったか。
相手を論破することにのみ傾注し、議論全体の進行や全体の理解が前へ進んでるのかどうかという配慮を忘却していたのではないか。
自分だけが解っているという「錯覚」に陥ってなかったか。
そんなことを考えました。
「思いやりの心」
3年前にとある山奥のお寺でお坊さんから
『君は他人から優しいと言われているだろうが、それではいけない。
「優」という字は「優れる」とも書く。
何かをする時に、他人に何かを期待しているのではないか。
そうではなく、相手を「思いやる心」、すなわち、見返りを求めずに相手のことを真摯に思う気持ちが大切なのだ。』
と言われたのを思い出しました。
3年間経っても意味がまだ分かっていません。
ただ、自分にはまだ「思いやりの心」がないのは事実なのでしょう。
そして「思いやりの心」は答案にも反映されると思います。
相手の読みやすいように心がけて丁寧に論述する。
そんなことが、必要であり、未だできていない部分なのかなと思います。
これを実行することは大変難しいですが、
常に肝に銘じておこうと思います。
読者のみなさんにもお見苦しい文章ばかりで大変申し分けないです。
いつも読んでくださってありがとうございます。